クリーブランドゴルフを武器に戦う元全米No.1アマ 知的美人プロ ペイジ・マッケンジー/2011年シーズンからクリーブランドゴルフ&スリクソンの契約選手となったペイジ・マッケンジー。かつて名門大学で財政学を学ぶ傍ら、全米No.1アマチュアにもなった才媛だ。06年のプロ転向後は本来の実力を発揮できずにいたが、今季はUSLPGAツアーで自己最高の成績でシーズンを終えた。そんな彼女のゴルフとの出会いと栄光、挫折、そして復活までの道のりを辿ってみよう。取材・文/江森孝

CGのドライバーと出会って迷いが消えた

 ベスト10入りは1度にとどまったものの、USLPGAツアー18試合に出場し、賞金ランキングは自己最高の47位。ペイジ・マッケンジーにとって、2011年は、満足のいくシーズンとなったようだ。

「今シーズンは、ツアーの試合数が減ったこともあって、私自身、開幕前は10試合くらいしか出場できないんじゃないかと思っていた。だから、序盤からかなりいい成績を出さないといけないと感じていたの。そして開幕してみたら、ずっと調子がよかった。成績がよかったおかげで18試合も出ることができたし、日本にも行けた。ツアーに出るようになってベストシーズンだったわ」

 プロになって5年目の今年の成績を見て、去年よりもレベルアップしたと思えるのがパッティングだ。平均パットは、ペイジの部門別データの中でもっとも上位に位置している。だが、「パッティングが得意なの?」と質問すると、彼女は苦笑いした。

「たしかに今年はパットがすごくよかったし、去年までとくらべてだいぶ上達したなとは感じたわ。それが成績にもつながったとは思う。でも、自分のストロングポイントはショット。私自身はショットメーカーだと思っているの」

 今季の平均飛距離は、256.1ヤードでランキング25位。身長173センチと恵まれた体格の彼女なら、飛ばそうと思えばもっと飛ばせるだろう。だが、そのスイングからは、飛距離よりも正確性を重視しようという意思がうかがえる。
 ショットメーカーを自認するペイジが、今シーズン、戦う武器として新たに選んだのがクリーブランドゴルフ(以下、CG)のクラブだ。

「正直に言うと、CGといえばウエッジしか知らなかったんだけど(笑)、昨年末に契約をして、今使っているギアを見つけるまで、CGのスタッフはとても忍耐強くクラブのフィッティングをしてくれたの。実は去年は、自分に合うドライバーを探して、迷いに迷った1年だったけれど、今年1月にCGの新しいドライバー(『ランチャーTL310』)に出会ってからは一切変更していない。それが今年の成績に反映されていると思うし、ギアを替えてよかったわ」

 クラブと同様、今シーズンから使用しているのがスリクソンのボールだ。去年の秋に初めて2種類のボールをテスト。今年に入ってからもツアー開幕前にフロリダで開催されたミニツアーでも、他のメーカーのボールも含めて毎日違うボールを試したという。その中からペイジが選んだのが『NEW スリクソン Z-STAR』だった。

「フロリダはすごく風が強かったんだけれど、スリクソンのボールはすごく直進性がよかった。すごく気に入ったわ。私が今までプレーした中で、スリクソンのボールはいちばんパフォーマンスのいいボールだと思う。台湾の試合(10月の『サンライズLPGA台湾選手権』)でも強い風が吹いていたけれど、いいプレーができたのも、このボールを使っていたのが大きいと思う」

  • ペイジ・マッケンジー選手写真
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アマで出場した全米女子オープンで13位に入賞

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 ペイジの故郷はワシントン州ヤキマ市。州内最大の都市シアトルの南東300キロに位置する、人口およそ9万人の静かな街だ。ここでペイジがゴルフを始めたのは、何と3歳のとき。

「でも、コースにはもっと小さい頃から出ていたわ。父も母もゴルフが好きで、コースでプレーするのに、キャディバッグを載せる手押しカートにベビーシートをセットして、そこに私を載せて歩いていたから(笑)」

 1歳上の兄も幼い頃からゴルフ好きとあっては、ペイジがゴルフをプレーするようになったのも自然の成り行きだった。

「でも、両親は私にゴルフを強制したわけではないの。実際、雪が降ってゴルフができない冬にはバスケットボールをやったわ。いくつかある選択肢の中のひとつがゴルフだったのだけれど、大きくなるにつれてゴルフが大好きになっていったの」

 それからのペイジの活躍は目覚ましかった。高校に進むと、ワシントンジュニアゴルフ連盟と、太平洋ノースウエストゴルフ連盟の2000年度年間最優秀少女ゴルファーに選出され、卒業までに全国規模の競技会で1勝を含む5度のトップ10フィニッシュを果たした。

 シアトルにある全米屈指の名門ワシントン大学に進んだあとも彼女の快進撃は続く。その快挙は枚挙にいとまがないが、特筆すべきは3年生だった2005年。「トランスナショナル選手権」のマッチプレー、ストロークプレーの両競技で優勝し、「ノース&サウス・アマチュア選手権」では準決勝に進出。さらに、初めて挑んだ「全米女子オープン」では、並みいるプロを向こうに回して堂々13位タイに入賞し、その年、太平洋ノースウエストゴルフ連盟の最優秀女子ゴルファーに選ばれた。翌2006年には、『ゴルフウィーク誌』のアマチュアランキングで全米ナンバーワンとなり、アマチュアとしてのキャリアを締めくくったのだった。

 この実績を見ると、ペイジは早くからプロを目指していたように思える。だが、彼女がプロを意識するようになったのは、意外にも20歳を過ぎてからだという。

「大学2年のときにひどく腰を痛めたこともあって、将来はビジネスの世界に進もうと思っていたの。だから大学に通いながら、ファイナンシャルプランナーのアシスタントとして、週に3日くらい企業のインターンをしていた。でも、ある日、オフィスの窓から外を眺めたら、すごく天気がよくて。その瞬間、『あぁ、ゴルフがしたい!』って思った(笑)。私はやっぱりゴルフが好きなんだとわかったの」

 まさに文武両道(そのうえ才色兼備)を絵に描いたような学生だったペイジは、プロの道に進むことを決意すると、それまでにもまして真剣にゴルフに打ち込む。その努力が、すでに触れた華々しい戦績となって実を結んだのだった。

 ペイジの故郷はワシントン州ヤキマ市。州内最大の都市シアトルの南東300キロに位置する、人口およそ9万人の静かな街だ。ここでペイジがゴルフを始めたのは、何と3歳のとき。

「でも、コースにはもっと小さい頃から出ていたわ。父も母もゴルフが好きで、コースでプレーするのに、キャディバッグを載せる手押しカートにベビーシートをセットして、そこに私を載せて歩いていたから(笑)」

 1歳上の兄も幼い頃からゴルフ好きとあっては、ペイジがゴルフをプレーするようになったのも自然の成り行きだった。

「でも、両親は私にゴルフを強制したわけではないの。実際、雪が降ってゴルフができない冬にはバスケットボールをやったわ。いくつかある選択肢の中のひとつがゴルフだったのだけれど、大きくなるにつれてゴルフが大好きになっていったの」

 それからのペイジの活躍は目覚ましかった。高校に進むと、ワシントンジュニアゴルフ連盟と、太平洋ノースウエストゴルフ連盟の2000年度年間最優秀少女ゴルファーに選出され、卒業までに全国規模の競技会で1勝を含む5度のトップ10フィニッシュを果たした。

 シアトルにある全米屈指の名門ワシントン大学に進んだあとも彼女の快進撃は続く。その快挙は枚挙にいとまがないが、特筆すべきは3年生だった2005年。「トランスナショナル選手権」のマッチプレー、ストロークプレーの両競技で優勝し、「ノース&サウス・アマチュア選手権」では準決勝に進出。さらに、初めて挑んだ「全米女子オープン」では、並みいるプロを向こうに回して堂々13位タイに入賞し、その年、太平洋ノースウエストゴルフ連盟の最優秀女子ゴルファーに選ばれた。翌2006年には、『ゴルフウィーク誌』のアマチュアランキングで全米ナンバーワンとなり、アマチュアとしてのキャリアを締めくくったのだった。

 この実績を見ると、ペイジは早くからプロを目指していたように思える。だが、彼女がプロを意識するようになったのは、意外にも20歳を過ぎてからだという。

「大学2年のときにひどく腰を痛めたこともあって、将来はビジネスの世界に進もうと思っていたの。だから大学に通いながら、ファイナンシャルプランナーのアシスタントとして、週に3日くらい企業のインターンをしていた。でも、ある日、オフィスの窓から外を眺めたら、すごく天気がよくて。その瞬間、『あぁ、ゴルフがしたい!』って思った(笑)。私はやっぱりゴルフが好きなんだとわかったの」

 まさに文武両道(そのうえ才色兼備)を絵に描いたような学生だったペイジは、プロの道に進むことを決意すると、それまでにもまして真剣にゴルフに打ち込む。その努力が、すでに触れた華々しい戦績となって実を結んだのだった。

  • ペイジ・マッケンジー選手写真
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2012シーズンの目標は、もちろん優勝

 2006年9月、全米一のアマチュアとしてプロの世界に飛び込んだペイジは、その年ミニツアーで早くも初優勝を飾ると、年末のファイナルQTで12位タイに入り、2007年のUSLPGAツアーの出場権を獲得。プロとしても順調にステップアップしていくと思われた。
 だが、ルーキーイヤーとなった07年シーズンは、20試合に出場して予選通過は9試合のみで、賞金ランキング118位。翌08年も17試合で8試合の予選通過、09年は自己最高の8位入賞を果たしたものの、安定したプレーぶりとは言い難かった。だが、その不振はある理由によるものだった。

「プロになってからの2年間は、プライベートで深刻な問題があって……。あの時期は本当につらかった。ゴルフに集中できず、自信もすべて失って、最悪のプレーをしていたわ。でも、今はゴルフに集中できるし、年々レベルアップしていると感じるの」

 不振から立ち直る支えになったのは、幼少の頃から一緒にゴルフを楽しんだ兄・ブロックの存在だ。大学の先輩でもあるブロックは、ペイジより2年先にプロに転向。現在、ネーションワイドツアーを主戦場にプレーしている。

「私は、今はアリゾナに住んでいるのだけれど、冬のあいだは兄が来て、一緒に練習しているの。私にとって兄はライバルだし、彼をやっつけるのが私にとっていい目標になっていると思う」

 もうひとつ、彼女を力づけたのがCGのスタッフとギアといえるだろう。

「去年の終わりに、CGのスタッフが契約の話を持ってきてくれたときに、その人がこう言ったの。『たしかに君はプロになって苦しんでいる。けれど、ポテンシャルは絶対にある』って。私の能力を認めてくれた。会社に対しても、私に興味を持ってくれたことにとても感謝しているわ」

 新しいギアを手にして、心機一転迎えた2011年シーズンが、彼女にとってプロ転向後最高のシーズンになったのは冒頭で触れたとおり。初めてシード権を獲得したが、もちろんペイジが今の自分に満足しているわけではない。

「今年は、開幕前に自分なりに立てたいくつかの目標を、ほぼ達成することができた。だいぶ時間はかかったけれど、やっとここまで来たという感じね。特に今年は、アマチュアの頃に持っていた自信を取り戻せた気がする。来シーズンの目標? もちろん1勝することよ。ぜひ達成したいと思っているわ」

 アマチュアとして頂点を極めた頃の自信を取り戻し、力強く前進するペイジ・マッケンジー。プロとしての彼女のサクセスストーリーは、これから始まる。

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PROFILE

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ペイジ・マッケンジー

1983年アメリカ・ワシントン州生まれの28歳。両親の影響から3歳でゴルフを始める。アイゼンハワー高校在学中の2000年、ワシントンジュニアゴルフ連盟と太平洋ノースウエストゴルフ連盟の最優秀少女ゴルファーに選出。ワシントン大学進学後の05年、「全米女子オープン」で13位タイに入賞。大学卒業時の06年には、イギリス・アイルランド連合チームとの女子アマ対抗戦「カーティスカップ」のアメリカ代表に選ばれ、「全米女子アマチュア選手権」ではメダリストになったほか、『ゴルフウィーク誌』が選ぶ全米ナンバーワンアマチュアとなった。
06年9月プロ転向。同年のファイナルQTで12位タイに入り、07年からUSLPGAツアーに参戦。これまでの最高順位は、09年「セーフウェイクラシック」での8位タイ。身長173センチ。